こんにちは。2年の安田です。
最近、トレ体がとても寒いです。みなさん体調と怪我に気をつけましょう。
、、、そういう私は去年の三校戦でアキレス腱を断裂してしまいました。
今は装具をつけて歩ける状態になっています。装具は足首が背屈しないようにかかとの部分にヒールが積み重なっています。最初は6枚あったヒールが昨日で4枚になりました。順調にいけば、あと4週間でヒールが0になるので合宿は歩いていけるかな?と思っています。
最近はテストで大変そうな人が多いですが、私は今学期取っていた授業が少なく、取っていた授業もレポートやプレゼンで単位が取れるものばかりだったので、とても暇な日々を送っています。やっていたパン屋のバイトも歩けないのでやめてしまい、やることもなく、毎日起きて、ご飯を食べて、数時間おきにリハビリをしながら部活の時間をぼーっと待つみたいな感じです。大丈夫なのかな?
今回はアキレス腱を切った経緯と手術のことなどを振り返って書こうと思います。
アキレス腱が痛み出したのは霜月の頃からだったと思います。後方系をやるとロンダートの時と、着地で回転が少しでも足りない時に痛かったので、霜月後はゆかの練習は前方系ばかりやって、後方系は滅多にやりませんでした。時々やってはまだ痛いなーと思って、1週間待ってというのを繰り返し、痛みは収まらずむしろ悪化し、平均台やセットカットで小走りをするときですら痛かったです。三校戦でも前日練では後方系は封印し、直前練習で1回だけ跳びました。そのまま本番を迎え、1種目目のゆかの終末技のロン宙で切れてしまいました。具体的にはロンダートから蹴るときでした。ゆかを蹴った時は想定通りの痛みしかなかったのですが、床板がずれた感じがしました。回転が足りず、着地は前のめりになったのですが、立ち上がろうとするといつもより痛く、力も入りませんでした。もちろん私の蹴りで床板がずれているはずはないので、あの衝撃は、、、って感じでした。三校戦が始まってから30分も経たないうちに、救急車を呼んでもらい、部員やOBOGの皆さん、京大の方にも多くの迷惑をかけてしまいました。本当にありがとうございました。
病院ではすぐにアキレス腱の完全断裂と言われ、自分で触ってみるとアキレス腱の部分が本当に凹んでいてゾッとしました。その後、父に迎えに来てもらい、3日後に実家の近くの病院で手術しました。人生で初めての入院、初めての手術でした。点滴すら記憶のある限りした覚えがありませんでした。手術は下半身麻酔で行いました。背骨のところから注射してだんだん下半身の感覚が薄れていくのですが、触られている感じはずっとある気がしたので、このまま始まったら痛くない?と思って心配していましたが、「11時25分、安田彩夏さん手術始めます。出血少量。」とお医者さんが言った時には、えっもう切られてたの?って感じで痛くも痒くもありませんでした。その後も何も下半身には感覚がないまま、切る音や縫う音が聞こえる落ち着かない1時間を過ごしました。手術の間は、「メス!」みたいな声が飛び交うのかなーと思っていましたが、ほとんど誰も喋ることはなく、1時間の間で私が聞いたのはお医者さんが炎症を起こしていた跡があると言われたのと、看護師の人に2、3回何か指示していたのと、5分延長と2回言っていたのと、看護師の人に「もう少しで終わるよ」と言われたくらいでした。手術後も何時間かの間は麻酔が効いていて、下半身麻酔をすると若い女性はよく頭痛と吐き気を起こすと言われていたので恐れていたのですが、全く症状はなかったです。前日の21時から手術後の4時間後くらいまでは何も食べてはいけなかったので、ただ空腹との闘いでした。病院のご飯も初めてでしたが、野菜が全部煮られていて、小中学校の時の給食を思い出しました。麻酔が切れた時の脚の痛みがやばかったです。ロキソニンを飲み、痛み止めの点滴を打ってもらっても痛かったです。次の日には退院し、お土産に切り開かれた左足の写真をもらいました。見たい方がいれば、言ってくれれば見せます笑
東京に帰ってきてすぐの頃はしばらくは義務練しか行かない!と思っていましたが、家に1日中いると病んでしまうので、すぐにまた週5で部活に行くようになりました。毎日筋トレしかできなくて辛いと思っていましたが、最近はだんちで蹴上がり、ともえ、小車輪や車輪器で振り上げから車輪、ほんてん倒立、低鉄で小車輪などを練習して楽しんでいます。意外とやることって見つかるもんだなーと思いました。部活に行けばセットカットもできず邪魔者で、いろんな人に迷惑をかけてしまうとは思いつつも、行きたくて行ってしまいます。それでも嫌な顔一つしないトレ体の皆さんにいろんな意味で支えられています。ありがとうございます。
2年 安田彩夏
最近、トレ体がとても寒いです。みなさん体調と怪我に気をつけましょう。
、、、そういう私は去年の三校戦でアキレス腱を断裂してしまいました。
今は装具をつけて歩ける状態になっています。装具は足首が背屈しないようにかかとの部分にヒールが積み重なっています。最初は6枚あったヒールが昨日で4枚になりました。順調にいけば、あと4週間でヒールが0になるので合宿は歩いていけるかな?と思っています。
最近はテストで大変そうな人が多いですが、私は今学期取っていた授業が少なく、取っていた授業もレポートやプレゼンで単位が取れるものばかりだったので、とても暇な日々を送っています。やっていたパン屋のバイトも歩けないのでやめてしまい、やることもなく、毎日起きて、ご飯を食べて、数時間おきにリハビリをしながら部活の時間をぼーっと待つみたいな感じです。大丈夫なのかな?
今回はアキレス腱を切った経緯と手術のことなどを振り返って書こうと思います。
アキレス腱が痛み出したのは霜月の頃からだったと思います。後方系をやるとロンダートの時と、着地で回転が少しでも足りない時に痛かったので、霜月後はゆかの練習は前方系ばかりやって、後方系は滅多にやりませんでした。時々やってはまだ痛いなーと思って、1週間待ってというのを繰り返し、痛みは収まらずむしろ悪化し、平均台やセットカットで小走りをするときですら痛かったです。三校戦でも前日練では後方系は封印し、直前練習で1回だけ跳びました。そのまま本番を迎え、1種目目のゆかの終末技のロン宙で切れてしまいました。具体的にはロンダートから蹴るときでした。ゆかを蹴った時は想定通りの痛みしかなかったのですが、床板がずれた感じがしました。回転が足りず、着地は前のめりになったのですが、立ち上がろうとするといつもより痛く、力も入りませんでした。もちろん私の蹴りで床板がずれているはずはないので、あの衝撃は、、、って感じでした。三校戦が始まってから30分も経たないうちに、救急車を呼んでもらい、部員やOBOGの皆さん、京大の方にも多くの迷惑をかけてしまいました。本当にありがとうございました。
病院ではすぐにアキレス腱の完全断裂と言われ、自分で触ってみるとアキレス腱の部分が本当に凹んでいてゾッとしました。その後、父に迎えに来てもらい、3日後に実家の近くの病院で手術しました。人生で初めての入院、初めての手術でした。点滴すら記憶のある限りした覚えがありませんでした。手術は下半身麻酔で行いました。背骨のところから注射してだんだん下半身の感覚が薄れていくのですが、触られている感じはずっとある気がしたので、このまま始まったら痛くない?と思って心配していましたが、「11時25分、安田彩夏さん手術始めます。出血少量。」とお医者さんが言った時には、えっもう切られてたの?って感じで痛くも痒くもありませんでした。その後も何も下半身には感覚がないまま、切る音や縫う音が聞こえる落ち着かない1時間を過ごしました。手術の間は、「メス!」みたいな声が飛び交うのかなーと思っていましたが、ほとんど誰も喋ることはなく、1時間の間で私が聞いたのはお医者さんが炎症を起こしていた跡があると言われたのと、看護師の人に2、3回何か指示していたのと、5分延長と2回言っていたのと、看護師の人に「もう少しで終わるよ」と言われたくらいでした。手術後も何時間かの間は麻酔が効いていて、下半身麻酔をすると若い女性はよく頭痛と吐き気を起こすと言われていたので恐れていたのですが、全く症状はなかったです。前日の21時から手術後の4時間後くらいまでは何も食べてはいけなかったので、ただ空腹との闘いでした。病院のご飯も初めてでしたが、野菜が全部煮られていて、小中学校の時の給食を思い出しました。麻酔が切れた時の脚の痛みがやばかったです。ロキソニンを飲み、痛み止めの点滴を打ってもらっても痛かったです。次の日には退院し、お土産に切り開かれた左足の写真をもらいました。見たい方がいれば、言ってくれれば見せます笑
東京に帰ってきてすぐの頃はしばらくは義務練しか行かない!と思っていましたが、家に1日中いると病んでしまうので、すぐにまた週5で部活に行くようになりました。毎日筋トレしかできなくて辛いと思っていましたが、最近はだんちで蹴上がり、ともえ、小車輪や車輪器で振り上げから車輪、ほんてん倒立、低鉄で小車輪などを練習して楽しんでいます。意外とやることって見つかるもんだなーと思いました。部活に行けばセットカットもできず邪魔者で、いろんな人に迷惑をかけてしまうとは思いつつも、行きたくて行ってしまいます。それでも嫌な顔一つしないトレ体の皆さんにいろんな意味で支えられています。ありがとうございます。
2年 安田彩夏