こんにちは。
前回の試技会(OBOG戦)で醜態を晒して団体でも個人でも霜月杯に出られず、それ以来「メンバー入れなかったハラスメント」を受け続けている1年の梶谷です(どんどんいじっていただいて構いません)。
遠藤に「ハッピーでまともな」記事を期待されてしまったので、ハッピーはともかく今回は真面目な話をしようということで、最近ある先輩から体操への取り組み方に関して頂いたアドバイスを共有するとともにそれを聞いて考えたことをまとめてみたいと思います。
アドバイスの内容は、一言で言うと「頭で考え過ぎずに数をこなせ」というものでした。
僕が床の技について先輩にあれこれ聞いていた時に、「そんなに考えない方がいいんじゃない、体操は取り敢えず回数を積むこともかなり大事だよ。」というようなことを仰ったのです。「今年の1年生は動画を見過ぎだと思うんだよね。」といったことも言われていました。
練習後のことで、その時は「次の練習までにビデオを見るなりイメトレをするなりでできることはしておきたい、そのためにどこを改善すべきなのかはっきり認識したい」というつもりだったので、色々と質問していたこと自体が良くなかったとは思いません(もちろん先輩もそこを非難するつもりで仰ったのではないと思いますし)。ただ、同じようなことを以前別の方から言われたこともあり、この機会に自分なりに考えを巡らせてみて、この「考えすぎるな」というのは体操の練習全般に対する姿勢として非常に大事なことなのではないかと思うに至りました。
例えば小さい子供が自転車に乗る練習をするに当たってやることは、恐らくただひたすら「乗ろうとする」ことだけです。周囲の大人の判断、あるいは自分の意思でレベルを上げていく(補助輪の角度を変えてバランスを取りづらくする、とか)ことはあっても、自転車の仕組みを学んだり、重心のずれに応じたハンドルの切り方を勉強したり、更には自分や他人のビデオを見て研究したりはしません。
幼稚園児が「車輪に対するジャイロ効果で姿勢が安定するのか!つまりある程度スピードを出したほうがいいんだな!」とか、「ここでハンドルを切る角度が浅いんだよなー」とか、「乗ってるときにフラフラするの改善したいんですけど誰の乗り方参考にするのがいいと思います?」とか言い始めたら世も末です(いや、寧ろ安泰なのか?)。
多少はアドバイスを貰ったり自分で考えることはあるかも知れませんが、基本的にはただひたすら何回も何回も乗っては転け乗っては転けを繰り返すだけでしょう。それでも気付けば体が覚え、安定して乗れるようになります。
体操にも、もしくはスポーツ全般で考えてもこれと同じような部分が多くあるような気がします。人間、ある程度の思考力や知識が付くと、漠然と繰り返すことに対して「こんなんでできるようになるのか」「いつまで経ってもこのままなんじゃないか」と不安を覚え、理屈に頼ろうとしてしまう部分があるんじゃないでしょうか。特に僕はそういうタイプで、振り返ってみると理屈を考えるあまり体を動かすことやひたすら繰り返すことの大切さを見失いがちかも知れません。
もちろん、考えることも大事だとは思います。適度な知識や思考が反復の効率を上げるのは事実だと思いますし、実際「今より10センチ遠くを掴んだら?」の一言で平行棒の蹴上がりが各段に良くなった、というように「頭を使う」ことで反復だけではなかなか辿り着けない所に進めることも多くあります。
要は、バランスが大事ということですね。これだけそれっぽい議論をしておいて、結局は当たり前の結論に辿り着いてしまうわけですが、それでもこれを意識していれば少しは練習の質も上がるのではないでしょうか。頭で考えようとしがちなところの良さは活かしながら、「やっていれば上手くなると信じて何度もやり続ける」意識も大切にしていきたいと思います。
それでは今回はこの辺で。以上、「つり輪のスイングは数が大事だから毎日回数を決めてやるといいんじゃない」と言われて1か月強、同じ人に「お前スイング下手だなー」と真顔で言われてしまって辛かった梶谷でした。道は遠い...。
前回の試技会(OBOG戦)で醜態を晒して団体でも個人でも霜月杯に出られず、それ以来「メンバー入れなかったハラスメント」を受け続けている1年の梶谷です(どんどんいじっていただいて構いません)。
遠藤に「ハッピーでまともな」記事を期待されてしまったので、ハッピーはともかく今回は真面目な話をしようということで、最近ある先輩から体操への取り組み方に関して頂いたアドバイスを共有するとともにそれを聞いて考えたことをまとめてみたいと思います。
アドバイスの内容は、一言で言うと「頭で考え過ぎずに数をこなせ」というものでした。
僕が床の技について先輩にあれこれ聞いていた時に、「そんなに考えない方がいいんじゃない、体操は取り敢えず回数を積むこともかなり大事だよ。」というようなことを仰ったのです。「今年の1年生は動画を見過ぎだと思うんだよね。」といったことも言われていました。
練習後のことで、その時は「次の練習までにビデオを見るなりイメトレをするなりでできることはしておきたい、そのためにどこを改善すべきなのかはっきり認識したい」というつもりだったので、色々と質問していたこと自体が良くなかったとは思いません(もちろん先輩もそこを非難するつもりで仰ったのではないと思いますし)。ただ、同じようなことを以前別の方から言われたこともあり、この機会に自分なりに考えを巡らせてみて、この「考えすぎるな」というのは体操の練習全般に対する姿勢として非常に大事なことなのではないかと思うに至りました。
例えば小さい子供が自転車に乗る練習をするに当たってやることは、恐らくただひたすら「乗ろうとする」ことだけです。周囲の大人の判断、あるいは自分の意思でレベルを上げていく(補助輪の角度を変えてバランスを取りづらくする、とか)ことはあっても、自転車の仕組みを学んだり、重心のずれに応じたハンドルの切り方を勉強したり、更には自分や他人のビデオを見て研究したりはしません。
幼稚園児が「車輪に対するジャイロ効果で姿勢が安定するのか!つまりある程度スピードを出したほうがいいんだな!」とか、「ここでハンドルを切る角度が浅いんだよなー」とか、「乗ってるときにフラフラするの改善したいんですけど誰の乗り方参考にするのがいいと思います?」とか言い始めたら世も末です(いや、寧ろ安泰なのか?)。
多少はアドバイスを貰ったり自分で考えることはあるかも知れませんが、基本的にはただひたすら何回も何回も乗っては転け乗っては転けを繰り返すだけでしょう。それでも気付けば体が覚え、安定して乗れるようになります。
体操にも、もしくはスポーツ全般で考えてもこれと同じような部分が多くあるような気がします。人間、ある程度の思考力や知識が付くと、漠然と繰り返すことに対して「こんなんでできるようになるのか」「いつまで経ってもこのままなんじゃないか」と不安を覚え、理屈に頼ろうとしてしまう部分があるんじゃないでしょうか。特に僕はそういうタイプで、振り返ってみると理屈を考えるあまり体を動かすことやひたすら繰り返すことの大切さを見失いがちかも知れません。
もちろん、考えることも大事だとは思います。適度な知識や思考が反復の効率を上げるのは事実だと思いますし、実際「今より10センチ遠くを掴んだら?」の一言で平行棒の蹴上がりが各段に良くなった、というように「頭を使う」ことで反復だけではなかなか辿り着けない所に進めることも多くあります。
要は、バランスが大事ということですね。これだけそれっぽい議論をしておいて、結局は当たり前の結論に辿り着いてしまうわけですが、それでもこれを意識していれば少しは練習の質も上がるのではないでしょうか。頭で考えようとしがちなところの良さは活かしながら、「やっていれば上手くなると信じて何度もやり続ける」意識も大切にしていきたいと思います。
それでは今回はこの辺で。以上、「つり輪のスイングは数が大事だから毎日回数を決めてやるといいんじゃない」と言われて1か月強、同じ人に「お前スイング下手だなー」と真顔で言われてしまって辛かった梶谷でした。道は遠い...。