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昔話

こんにちは。二年の藤波です。
トレ体の現役メンバーは次々とテストを終え、春休みを手に入れております。
2週間後には大潟での合宿も控え、体操漬けの日々へ突入です!!

こうやってブログを書き出した日から一年が経ちました。
一年も経ってしまえば、もうだいぶ「昔」に感じますが、当時の私なりに色々なことを考えて書いたブログです。
2018年2月の「体操、楽しいですか?」
良かったら読んでみてください。


と、過去のブログの宣伝はここまでにして、
今回はもう少し「昔」話をさせていただこうと思います。

私が中高時代に所属していた器械体操班のお話です

聞いたことがある人も多いと思いますが、
器械体操班は私たちの学年が引退すると同時に廃部になりました。
いつかどこかでお話してみたい、と思っていたのですが、
なんだか今じゃない?という天啓があったので
隙あらば自分語り上等の精神で書かせていただきます。
少し長いので、お時間のある方お付き合いくださいm(_ _)m

―――――――――――――――――――――――


私が通っていた学校は中高一貫校のため、中1〜高2の5学年で部活動をしており、私が入部した時、器械体操班には30人ほどの部員が所属していました。

最初の半年間は、延々と筋トレ&柔軟。
それでも少しずつ技をやらせてもらえるようになり、私はすぐに体操の魅力にとりつかれました。
中学2年生になると、新歓が始まります。
初めてできる後輩に胸を踊らせたのもつかの間、実際に入部してくれたのはたったの2人。
しかも1人はすぐに辞めてしまい、残った1年生は1人になりました。
再募集する話も出たもののうやむやになったまま、間も無く中学3年生になる、という春休みを迎えたある日、
器械体操班の班員は、ある教室に集められました。

そして、そこで告げられたのが
「器械体操班は廃部にする」という決定。

正確に言うと、
・器械体操班は2年後(私たちの1つ上の学年の引退と同時)に廃部になる
・新入部員はもう入れない
・顧問編成を大きく変える
という3点の告知でした。

とにかく、
大好きな部活がなくなってしまう
しかも自分たちは引退を迎えられない
ということで、私たちは大いに混乱し、
そして混乱は、何の滞りもなく自然に怒りへと変換されました。

去年もっと新入生を入れられていればと自分たちを責め、
危険に敏感になっていく世の中の風潮を恨み、
なんの相談もなく一方的に決定を押し付けてきた教師を憎みました。

なんとかして廃部を取り消してもらおうと、
私たちは行動を起こしました。

毎日のように学年内で話し合い、
教室を回って廃部の撤廃をお願いする署名を集め、
危険度の高いと言われた器具練の日数を減らしても良いと代替案を提出し、
先生方のアポを取って何度も何度も不満や疑問点をぶつけました。

そうして得たのは
活動期間の1年延長と、
暖簾に腕押し、馬の耳に念仏、糠に釘、といったことわざへの造詣?

日々、埒の開かなさに絶望し、思いの伝わらない悔しさに涙を流すしかなかった私たちは、

結局、器械体操班を守りきることができませんでした。

器械体操班は60年以上の歴史を持つ部活でした。
たくさんのOGの方々がここで青春を過ごし、
実際に引退して大人になっても演技会に来てくださるOGの方がたくさんいらっしゃいました。
でもその歴史は何の担保にもならなかった。

当時の私は気性が激しくて不器用で、
教師会を敵とみなし、正論で戦うことでしか器械体操班を守れないと考えました。

先輩方はもっと穏便にことを運びたかったんだろうし、そうすることで違う未来が開く可能性も見ていたのかもしれません。
でも幼かった私には理解できなかった。

現状を打破したいと研いだ剣はあまりに荒く、
扱いなれない武器を力の限り振り回すしかできなかった私は、
大事なものを守りたいと強く願いながら、
たくさんの人を傷つけました。
溢れんばかりの憎しみをぶつけた先生も
心の中で日和見を糾弾した先輩も
結局は何もできない自分のことも。

廃部の理由に挙げられたことは全部否定したくて
試合でいい結果を残すために危ない技をやるんでしょ、と言われたことを否定したくて
体操は怪我が多い危ないスポーツだ、と言われたことを否定したくて
    試合なんて別に出たくない
    予選を突破しても別に嬉しくない
    怪我をしても別に痛くない
必要のない呪いをかけ、そうやって苦しむふりをすることでしか
廃部という事実に向き合うことができなかった。
やっぱり不器用だったのでしょう。

新入部員を募集しないため先輩方が引退するたびに部員は減っていき、
最後の1年は6人で部活をしました。
セットもカットも、ゆかを出すのも低鉄を立てるのも、雑用も、荷物運びも、試合も、合宿も、全部。
当たり前のように大変で、
当たり前のように、寂しかった。
その時の気持ちは今でも鮮明に覚えています。

、、、なんて全部苦しかった風に書いていますが、
もちろんそれだけではありませんでした。

先輩方の働きかけのおかげで、活動期間は1年延び、私たちは引退までの活動が許されました。
引退してからも試合の応援に来てくださり、セットを手伝ってくださることもありました。

同級生たちよりもまる一年早いタイミングで部活動との別れを余儀なくされたたった一人の後輩は、
中学から高校に上がるキリのいいタイミングで辞める選択肢があったにもかかわらず、
最後まで一緒に部活をしてくれました。私たちと一緒に引退してくれました。

コーチは、たった6人の練習のためにほぼ毎回いらっしゃって、補助をしたりアドバイスをしたりしてくださいました。

真面目に話し合ったり、真剣に練習したりする裏で、馬鹿話をして笑いあえる同期がいました。

人に恵まれ、キラキラした時間を過ごしていることは、当時も十分、身に沁みて分かっていました。

だからこそ、
母校にその場所が、私たちが青春を駆け抜けたその場所がもう無いのだ、という悔しさだけが
今もフワフワと心の中を漂い、時々ギューっと心を締め付けます。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

大学の体操部に入って、その自由度の高さに驚きました。
義務練が云々、オフが云々という話ではなく、
その精神的自由度の高さに。

好きな技を好きなように、高みを目指して追い続けられる

今では当たり前のように感じてしまうこの環境は、
自分を縛っていたあの頃は決して手に入れることのできなかったこの環境は、
もちろん自然にそこに存在するわけではなく、
歴代の先輩方が魂を削って守ってきたものです。
伝統に敬意を表し、変化を恐れず、そうやって作り上げてきたものです。

東京大学運動会体操部の一員として、体操する覚悟は私にできているでしょうか?

それからもう一つ、当たり前ではないこと。
一緒に体操してくれる仲間がいること。

バックグラウンドはそれぞれ違います。
目指すものも全く一緒ではない。
だからこそぶつかり合って、笑いあって、高め合っていける。
自ら選択して、ここにいる部員達です。
何があっても私は、そばにいるこの仲間を大切にしたい。

東京大学運動会体操部の一員として、体操する覚悟は私にできているでしょうか?

学校も歴史も伝統も
足場を作ってくれているものが必ずしも今を守ってくれるわけではないと知ったから、
この環境を確実にしてくれるものは何もないと知ったから、
全力で感謝して、全力で背負って、全力で守り抜きたい
と、強く思うのです。

、、、そう気負ってみても、
無力なままの私にできることは何もないのかもしれませんが。

それでも自分に問い続けることはやめずに、
悩みながらもがきながら、
今日も体操をしたいと思います。

あーなんて重いブログ。

そうしておじいさんとおばあさんは宝を手に入れ、
一生幸せに暮らしましたとさ。

めでたしめでたし。
これでいいかな。

2年 藤波真由

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