ブログの投稿がかなり遅れてしまった事を深くお詫び申し上げます

後藤です。投稿がめちゃくちゃ遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。

最近、神戸に帰省しました。実家で飼われている猫2匹に会いに帰りました。ガッシュという黒色で短いしっぽが特徴の雄猫と、カレンというグレー色の雌猫の2匹が神戸の実家にいます。猫の種類についてはあまり詳しくないのでわかりませんが、多分どちらも雑種です。どちらもとても図々しくて可愛いです。また夏くらいに会いに帰省したいなと思いました。
また、帰省した際に王子動物園や三ノ宮、南京町といった観光地に行きましたが、1日家で映画をみてた日もありました。ポケモンやドラゴンボール、最近みたいと思っていたファンタスティック・ビーストシリーズの3作品をみました。どれもなかなかおもしろかったです。アバダケダブラ

体操の話をします。
3月に行った試技会で、あん馬のフクガで落下してしまい、大学1年のときに行った試技会や試合のあん馬で一度もノーミスで通しきることができませんでした。中学3年のときの試合でも、あん馬は1度も通しきれなかったので、次の試合では通しきりたいです。
最近平行棒のダブルが怖くなってしまいました。霜月杯が終わってすぐに克服したつもりでしたが、2月にミズトリで練習したときにまた首から落ちました。それ以来、降りのスイングで肩がたおれてしまう癖がついてしまいました。ダブル以外にも、ツイストでしょっちゅう肘カックンになってしまったり、ディアミドフに関しては冬合宿でお尻を強打してしまって以来怖くてできておりません。本当に平行棒は凶器だと思います。

最後に、自分が中学生のころに通っていた体操クラブで行っていたルーティンを紹介します。練習の最初に砂浜でダッシュを行うのですが、ダッシュの前に少し変わったルーティンをします。誠史に5回ほど説明しても理解してもらえないくらい変わっています。
まず最初に砂浜で2列に並び、号令係の人が「目線を遥か彼方水平線へ。目を瞑ってください。」と言います。するとコーチがゆずの「栄光の架橋」を流し始め、全員が目を瞑ります。そしたら号令係が「イメージすること。今日の目標(他のことの場合もある)。」と言い、曲の1番が終わるまでイメージします。
曲の1番が終わると、次に挨拶訓練が始まります。号令係が「円陣になってください。」と言い、全員で円陣を組みます。どんなことを言っていたのかはうる覚えですが、次のような感じだったと思います。

挨拶訓練始めます!(はい!)
大きな声でお願いします!(はい!)
おはようございます!(おはようございます!)
こんにちは!(こんにちは!)
ガンバ!(ガンバ!)
よっしゃあ!(よっしゃあ!)
やればできる!(やればできる!)
絶対できる!(絶対できる!)
レックス最高!(レックス最高!)
日本一!(日本一!)

挨拶訓練が終わると、全力ジャンケンというものを行います。2人組をつくり、握手をします。号令係が「せーの!」と言ったら、全員が「よろしくお願いします!」と言い、そのあともう一度号令係が「せーの!」と言うと、全員が「最初はグー!ジャンケンポン!よっしゃあ!」とジャンケンを行い、勝っても負けてもあいこでも「よっしゃあ!」と言います。
最後に、号令係が「御手を拝借、よーお!」と言い、合図に合わせてパンと手を叩いて砂浜を走り始めます。
これが、自分が中学生のころに通っていた体操クラブで行っていたルーティンです。自分はこのルーティンを3年間週5以上で行っていました。実際どのような効果があるのかはよくわかりませんでしたが、もし水平線が見える砂浜があればぜひやってみてください。

Спасибо за чтение.

Fui a Perú.

こんにちは。1年小池です。フランス語、ロシア語と続いていたのでスペイン語のタイトルにしてみました。この話は長くなる予定なので後半の方で書きたいと思います(※ちなみにこのブログ自体、19750字あります)。


そろそろ花粉症の季節ですね。合宿から帰ってきてから鼻水とくしゃみが増えて、目がかゆくなってきました。つらいです。でも春は好きです。3月と名前が同じだからではありません。それもないわけではありませんが、、太陽の光が程よく暖かく感じられて気持ちいいからです。体操も試合シーズンが近づいてきたな、という感じがしますよね。


春合宿に行ってきました。夏合宿は技を戻すことと通し練がメインになっていましたが、今回は技練中心で、初めての技にたくさん挑戦できたのでとても楽しかったです。また、阪大や東北大の方々と一緒に練習できたのも楽しかったです。合宿係をはじめとして、合宿を支えてくださった方々に感謝です。

跳馬は、カサマツの練習を始めました。東大では入りだけ練習していましたが、うまく前を向くことができずに右肩を痛めてしまいました。そのため、合宿前はしばらく跳馬は控えていました。ペルーに行ってた11日間に全く体操をしていなかったおかげか、肩の痛みはひいて、また練習できるようになったのでとても嬉しいです。合宿では前を向いて頭を抜くところまでできました。抱え込めずにずっと体を伸ばしたままで回っているのですが、足が跳馬スレスレを通っています。いつかぶつかりそうで怖いです。もっとスピードと足の振りと手の突きが必要だなと感じています。

だんちは、合宿でダブルを回したくて、でも振り出しからいくのはできる気がしないから車輪からやろうと思ったので、東大では毎練習車輪を回すようにしていました。最近なんとか1周目から膝を曲げずに回れるようになってきました。合宿ではダブル回せました。思ったよりも回転がつかないので陸でできるようになるにはまだまだ時間がかかりそうです。去年のクリスマス会で「ギンガーをすることが野望です」と言いましたが、合宿前はギンガーよりはダブルの方がやりたい気持ちに溢れていたので、今回の合宿では時間があったらやろう、程度に考えていました。でもやってみたらいい感じで、バーを触るところまでできました!色々いただいたアドバイスのおかげです。ジョイとかでも練習を続けていこうと思います。ジョイといえば、最近快周がいっぱいきてくれて嬉しいです。ちかこ先輩やさっこさんにも会えて、一緒に練習できるのが楽しいです!!とある日に、知ってる人がたくさんいるな〜と思って東大関係者、国高関係者…という感じで数えてみたんですけど、小池家の人数もそれといい勝負でした。一家の中で4人も同じ体育館で体操してるなんてなかなかないですよね。面白かったです。だんちの話に戻ると、、東大では倒立からフットカットに続ける練習もちょこちょこやってます。バーを握りすぎちゃうせいか、 手を離せないということが度々あります。それが怖くて前にとんでしまうので、まだまだ練習が必要なようです。

平均台は、バク転の練習をしています。手をついた時にどうしても肘を曲げてしまうのでもっと上に跳べるようになりたいです。あとは膝がめちゃくちゃ曲がっています。動画でスローでみてみると、左足は真っ直ぐ伸びているのに右足はきれいに90度に曲がっています。今までもずっとこんなバク転をやってきていたので、大学生のうちになんとかしたいです。夏合宿では前ブリッジ上がりの練習を始めて、横に台を置いてやっていましたが、今回の合宿では台を置かずにできました。成長が感じられて嬉しかったです。

ゆかは、ピットに向かって初めて後方ダブルを回しました。ダブルは引き上げてから抱えこむまでに少し待ってしまう癖があるので、陸でやる危機感を持って回すようにしたいです。タントラでは後方2回半ひねりの練習もしました。やっとこの前東大で2回ひねりが立てたのですが、そのあと肩を痛めてゆかは全然練習していなかったので、合宿でフロアでひねりに挑戦できなかったのは残念です。これからどんどん練習していきたいです。ダンス系でいうと、東大で3回ターン回れました。合宿でもやりたかったのですが、軸ブレがすごくてできませんでした。ターンって1周増えるだけでだいぶ変わりますよね。こっちも練習していきたいです。


さてさて、ペルーに行ってきました。毎日どんなことをしてたのかダラダラと書いていこうと思います。どうでもいい話満載なので、時間がある時にでも読んでいただけると嬉しいです!

まず旅行を通して気づいたり思ったりしたことです。完全に主観です。
・外国の女性は前髪を作っていない人が多く、ほとんどの人がピアスをしている
私からしたら、外国人女性は、小学生であってもみんな大人びて見えます。これは髪型だけでなく顔立ちも関係しているとは思いますが。ピアスに関しては、抱っこ紐でおんぶされている小さい子供もピアスをしていました。ピアスはイヤリングよりもたくさん種類があってかわいいなぁと憧れるのですが、耳に穴を開ける勇気が出ずにいます…。

・ペルーのトイレでは紙を流してはいけない
「トイレットペーパー以外は流さないでください」というのは日本でも見かけますが、トイレットペーパーも流しちゃいけないのにはびっくりしました。あと、街中のトイレは基本お金がかかります。お金を払って紙をもらいます。

・人は1人では生きていけないし、2人でも生きていけない
今回は2人旅だったのですが、ずっと同じ人と2人でいるというのは少しストレスが溜まる気がしました。いろんな人と出会って交流することは日常でありふれたことですけど、すごく重要なことなんだなと思いました。

以下旅行の様子です。
・1日目
成田空港からアムステルダムのスキポール空港まで飛びました。フライトは14時間でした。日本とオランダの時差は8時間あるので、この日は1日が32時間ありました。飛行機の中ではほとんど寝ていたのでそんなに長いという実感はなかったです。普通にロシア避けながらユーラシア大陸の上を飛んでいくのかな〜と思っていたら、飛行機が東の方向に飛んでいくのでびっくりしました。そのあとは北上して、ベーリング海峡を通って北極周りで進んでいきました。着陸する前から少し気持ち悪くなってしまい、乗り物酔いかと思いましたが、おそらく食べ過ぎもあるかと思います。機内食で食事が2回、間食が2回出ましたが、それ以外に日本から持ってきたおにぎりとアルフォートも食べてました。アルフォートといえば、隣の席に座っていた、これからオランダに帰るっぽい人も食べていました。私はアルフォート好きなので、その人も気に入ってくれていたのなら嬉しいです。空港ではそのまま乗り継いで別の国に行く人が多く、出国する人が少なかったので、人の流れについていくこともできず出口を探して彷徨いました。出口を見つけて向かう途中で思ったことは、「エスカレーターのスピード速くない?」ということです。あと、日本みたいに黄色い線も引いてないので新鮮な感じがしました。海外のエスカレーターって横にブラシみたいな毛がついているんですけど、何のためのものなのがずっと疑問です。入国が終わったところで、見たことのあるバッグを持っている人を見つけました。それは、高校で創立80周年の時にもらったエコバッグです。見間違いの可能性大ですけど、思わず二度見してしまいました。それからホテルのシャトルバスが出るバス停に向かいました。生憎の雨で、めちゃくちゃ寒かったです。日本だったら雪が降ってそうなくらいの気温でした。バスを待っている間に思ったことは、「タバコ吸ってる人多くない?」ということです。喫煙スペースとかもなくて、みんな自由にいろんなところで吸っていました。あと、「傘さしてる人少ないな」と思いました。単に空港周辺で建物の屋根がところどころにあるからかと思いましたが、後日街を歩いた時に、たださす習慣がないだけだとわかりました。ホテルで一泊しましたが、一応アムステルダムは乗り継ぎのために通っているのでスーツケースは預けっぱなしでした。なので1泊分の荷物は手荷物に入れて持ってきたのですが、パジャマを入れるのを忘れていました。ちょっとショックでした。シャンプーは家にあった旅行用のものを持って行ったのですが、シャンプーは「みずみずしく可憐な山桜 3分咲きの香り」、コンディショナーは「みずみずしく可憐な山桜 7分咲きの香り」でした。両方使えば満開の香りがするってことですかね。特にすることもなかったので20時ごろにはもう寝ました。そしたらウーウーという音に起こされました。お父さん、変わった目覚まし使ってるな〜って思っていましたが、どうやら火災報知器の音だったようです。ずっと音が鳴り止まないので不安になってロビーの方に向かいました。何事もなかったようなので安心しました。部屋に戻って「今何時?」と聞いてみたら、「9時」と言われました。私はてっきりもう朝だと思っていたくらいよく寝た感覚だったのでびっくりしました。1時間寝ただけでそう思えるのはなんか得した気分です。

1日目は飛んだだけだからそんなに書くことないなと思ってたのにほんとにどうでもいいことまでたくさん書いてしまいました…この後もこんな調子で書いていきます。

・2日目
日の出が8:00過ぎで雨だったこともあって、朝はしばらく暗いままでした。朝ご飯はホテルで食べたのですが、そこのクロワッサンがめちゃくちゃ美味しかったです!美星もブログでパンが美味しいと書いていたので、やっぱりヨーロッパのパンは美味しいんですね。雨が止んでいて、空港に向かうシャトルバスに乗るまで少し時間があったので、荷物を預けて少し歩くか、という話になったんですが、荷物を預けて外に出てみたら結構雨が降っていました。降ったり止んだりを繰り返してるみたいで、歩くのを諦めました。荷物を預けたばかりなのにすぐに返してもらうのはなんか気まずかったです。シャトルバスに乗って空港についたのですが、乗る予定の飛行機が遅れていることがわかったため、アムステルダム市街に急遽行くことにしました。電車のチケットは、日本の切符みたいに改札に通すのではなく、PASMOみたいにピッとするところがあるのでそこにタッチします。でもPASMOと違うところはチャージができないことで、切符みたいに1回使ったらそれでおしまいです。電車は1番のスペースと2番のスペースがあって、1番のスペースの方が多分料金が高いですが、椅子がゆったりしてて、空間が区切られています。普通に乗るなら2番になります。そして、たまに自転車マークがついた車両があります。自転車持ち込んで乗れるスペースがありますよということだと思います。さすが自転車大国ですね。アムステルダム中央駅に行きました。人が多いです。トイレに行こうと思ったらお金がかかることがわかりました。アムステルダムの中心部は運河が多いので、駅の目の前も船がたくさん通っていました。中央駅は、東京駅のモデルになった駅だそうです。確かに似ていました。そして、駅前にはトラムが走っていました。トラムとは路面電車のことです。結構な頻度で走ってるみたいで、歩行者用の信号が赤になった時に目の前を走っていきます。今回は乗りませんでした。中央駅から真っ直ぐ伸びる道にはお土産屋やマック、スタバなどお店がたくさん並んでいました。丸くておっきいチーズを売っているお店もありました。そのまま真っ直ぐいくと、ダム広場という広場に辿り着きました。王宮や博物館などが集まっています。それから、アンネ・フランクの家を見に行くことにしました。道のところどころに自転車のオブジェが飾られていたり、自転車がいっぱい止められていたり、自転車専用レーンがあったりして、ここでもさすが自転車大国だと思いました。アンネの家は、外見は周りの家と特に違いはなく、たくさんの人がいなければ気づけなさそうな感じでした。その後空港に戻って出国しました。空港におもしろい時計があって、1分ごとにおじさんが針を消して書き直していくんです。もちろん本物の人ではなくて映像でしょうけど、こういう発想好きだなと思いました。空港内を歩いていたら、チューリップの球根を売っているお店を見つけました。結構大きくてびっくりしました。それからワッフルを買いました。オランダといえばワッフルですよね。ワッフル大好きなのですごく嬉しかったです。飛行機の中で食べました。今回初めて大西洋を渡りました。リマ行きということもあって、周りからはスペイン語ばかり聞こえてきました。スペイン語選択で1年間スペイン語を学んできたものの、さすがにネイティブのスピードでは全然聞き取れません。全部右から左に流れていきます。知っている単語さえも頭に入ってきませんでした。前の席に座っていた人が犬を連れていたのですが、着陸した後、「no puedes salir」と言っていたことだけ理解できてちょっと嬉しくなりました。オランダは日本と同じくらい寒かったのですが、リマは暑いです。この時期は28℃くらいまで上がります。ツアーの車がお迎えに来てくれていたので、車に乗ってホテルに向かいました。空港前はとても車が多くて、車同士の距離がとても近かったです。少しでも隙間があればそこに入り込む、という感じです。そのため頻繁にクラクションが鳴っています。左ハンドル右側通行に慣れず、特に左折する時は変な感じがしました。太平洋沿いに高速道路のような、信号なしで大きな道路が走っていて、そこを通りました。3車線くらいあるのですが、日本みたいに追い越し車線などは決まってなくて、いろんな車線に移動しながら前の車を抜かしていきます。少し怖かったですね。

・3日目
朝4:00に起きて、ピスコ空港というところに向かいました。朝が早かったので、ホテルの人がご飯を紙袋に詰めて持たせてくれました。サンドイッチとフルーツジュースとりんごとみかんが入ってました。最近ペルーではみかんが出回るようになっているそうです。だんだん明るくなってきたら、道路沿いに見えていた山は砂でできた山であることがわかりました。ペルーの太平洋沿いはとても乾燥していて、年降水量も数mmです。雲が広がっていたのですが、ガイドの方は、これは異常気象だと言っていました。それだけ晴天の日が多いということですね。しばらく走っていくと、スラム街みたいなのがたくさん見えてきました。観光地に行くのもいいですけど、こうして街並みを眺めたり、街の中をぶらぶらするのも好きだなーと思いました。ピスコ空港に着いたら小型飛行機に乗ってナスカの地上絵を見に行く予定でした。飛行機は12人乗りで、それに私たち2人で乗ることになっていましたが、空港に着いてみたら、その飛行機は準備されていないと言われました。あと2時間ほど待てば準備してくれるとのことだったので、近くを散策しようということになったのですが、その時に居合わせた中国人のツアーの方が、一緒に乗ってもいいと言ってくれたので、ありがたく一緒に乗らせてもらうことにしました。ラッキーなことに、座席は一番前でした。離陸してから地上絵まで少し飛んで、地上絵が見えてきたら両側の窓の人がちゃんと見えるように、右周り、左周りと飛んでくれました。地上絵があるところは砂漠というか砂の地面で、水が流れた跡のような線がいっぱいあってどれが地上絵かわからないのではないかと不安でしたが、よく見てみたら、地上絵の線は自然にできたものとは違って真っ直ぐ、はっきり書かれていました。副機長さんが、次はどの絵が見えるかをアナウンスしてくれたのですが、英語だけでなく日本語でも話してくれました。5/6は中国人なのに中国語でなく日本語でアナウンスをしてくれたのが不思議でした。私は副機長さんの後ろに座っていたのですが、私が絵を見つけられないでいると、見つけられるまで根気よく教えてくれました。副機長さんとは仲良くなれました。空港に戻ったら、空港の2階に上がってみたのですが、がらんとしていて、お店もなければ人もいません。かつては国際線の発着にも使われていたらしいのですが、リマなどの都市と遠いこともあって、この空港は次第に使われなくなっていったそうです。そんな中、地上絵に関する展示があったので見せてもらいました。それから、近くのお店で昼食をとりました。セビーチェとアロス・コン・マリスコスを食べました。セビーチェはお刺身のマリネみたいなもので、生魚と野菜が入っています。特にこの魚、というのは決まっておらず、レストランによって様々らしいです。野菜はお芋やとうもろこし玉ねぎ、それにイカリングが乗っかっていました。お芋はニンジンみたいなオレンジ色で、どうしてもニンジンみたいに見えてしまうのですが、味はさつまいもみたいに甘いです。とうもろこしは日本のコーンよりももっと大きいサイズでした。アロス・コン・マリスコスは海鮮ご飯ということで、いろんな海鮮が入っていました。お米は細長かったです。帰りは民芸品店に寄りました。ホテルに戻ったら寝落ちしました。

・4日目
朝1:45に起きました。もはや朝ではなく夜と表現した方がいいですね。3日目と同じように、朝食は紙袋に詰めてもらいました。空港に向かいました。スーツケースを預けたらpriorityの札をつけられました。ツアーで申し込んだらいい席を取ってくれていたみたいです。この空港では搭乗を開始しました、などのアナウンスはしないよと親切にも何回もアナウンスがありました。乗ったら、CAの方が自己紹介しながらお水を渡してくれました。エコノミー以外に乗るのは初めてなのでワクワクしました。クスコに向かいました。リマよりも内陸にあり、東の方に飛んだので、朝日が見えました。あと、アルプス山脈の山々も見えました。クスコの町は全体的に茶色かったです。リマは都市でしたが、ここには伝統的な暮らしが残っている感じでした。リマほどは暑くはありませんでしたが、半袖にパーカーを羽織ればちょうどいいくらいの気温でした。ツアーの車に乗って翌日泊まるホテルにスーツケースを預けたら、観光しつつオリャンタイタンボ駅に向かいました。クスコは標高3000m以上あって高山病が心配でしたが、意外と平気でした。こんなに高いのに色んな花が咲いていてとても綺麗でした。家の屋根には牛2頭の置物が載っていました。シーサーと同じような感じです。魔除け的な意味があるそうです。クスコの街を見下ろせる場所に、キリストの大きな像がありました。朝早かったこともあって、ほとんど人がいませんでした。その後にピサック市場に行きました。そこでパン屋に寄りました。大きなかまどでものすごい数のパンを焼いていて、近所の方たちがたくさん買っていました。そこではクイという動物が飼われていました。モルモットみたいな動物です。クイッと鳴くのでこの名前になったそうです。いずれは丸焼きにされちゃうそうで、飼っている人も愛着が湧かないように名前はつけないでいるそうです。この日は日曜日だったこともあってか、カーニバルが行われる日で、たくさんの人がいました。道にはカラフルな短冊がぶら下がり、お店にはカラフルな風船がつき、電柱には女性の人形が括り付けられていました。この人形は村の人々が作ったもので、女性の時と男性の時があるそうです。メイン広場には観客席が設けられていました。朝早かったのでまだカーニバルは始まっていませんでしたが、音楽ショーやダンスショーがありそうでした。女の子たちは伝統衣装を着て、みんな髪を三つ編みにしていました。ちょうどお母さんに髪を結んでもらっている子を見かけたので、これは代々受け継がれていることなんだなと思いました。オリャンタイタンボ駅に着きました。この駅からはマチュピチュ村までの電車が走っています。ペルーレールとインカレールの2つがあるのですが、今回はペルーレールに乗りました。電車に乗れるようになるまで待ってる間に、小さい男の子が線路のすぐ横を犬と一緒に通って行きました。その男の子は川で魚を獲ったあとだったらしく、手には魚を持っていて、それに犬がついていっている感じでした。とてもたくましいなと思いました。電車に乗り始めたら、ホームで楽器を演奏してくれて、さらに伝統的な衣装を着てお面をつけた人たちが踊ってくれました。電車が走り始めたら動物探しをしました。牛と馬とロバをよく見ました。途中でキヌアチップスとキヌアバー、コカ茶が出ました。キヌアはスーパーフードと呼ばれていてペルーでは有名です。コカは高山病対策にいいらしいです。そういえば3日目にはコカの飴をもらっていました。コカもペルーでは有名です。コカの葉にはコカインが含まれているそうなので、摂取のしすぎはよくないようです。乗っていた電車の最後の一両はバーのようになっていて、決められた時間に行っていいとのことだったので行ってみたら、楽器を演奏して歌っているバンドの人たちがいました。何曲か歌い終えたあとで、今度は伝統的な衣装を着てお面をつけた2人組が出てきました。駅でお見送りしてくれたと思っていたら、同じ電車に乗っていたようです。3分ほど踊って、それから別の組も出てきて踊りました。そのあとでまたバンドの演奏が始まって、ヨーロッパ人ぽいカップルが踊り始めました。曲を聴いて踊れるのはさすが欧米と思いました。それからみんな踊り始めました。一番盛り上がってたのは車掌さんだったような気がします。30分ほど経って元の席に戻りました。ちなみにここまで電車と書いてきましたが、電気で走っているわけではないです。マチュピチュ駅に着きました。駅前にはお土産屋がたくさん並んでいました。これでもまだ昼の12:30くらいで、まだ半日あるのか…と思いました。ホテルで荷物整理をして、マチュピチュ遺跡の入り口までバスで登りました。そこで昼食にしました。ローストビーフをその場で切って出してくれるみたいなコーナーがあって、そこで待っている外国人女性がレストランの人に「これはビーフですか?」と聞くと、「いいえ、アルパカです」という答えが返ってきました。マチュピチュの標高は2500mほどでクスコよりも低いのですが、少し歩いただけですぐに息が上がってしまいます。ゆっくり、休憩しながら歩きました。途中でリャマを見かけました。最初はアルパカかと思ったのですが、アルパカはもっと寒いところにいるそうです。今回の旅行ではアルパカと写真を撮るのを目標にしていたので残念でした。マチュピチュと言えば!の景色が見える場所で倒立しようとしたのですが、ガイドさんに止められました。危ないから倒立もジャンプもしちゃいけないようです。ちゃんと監視している人もいました。遺跡の中を歩きました。冬至や夏至などの季節を知るための仕組みがたくさんあったことがわかりました。冬至の時はこの窓から日光が入る、や、この丸い窪みに日が当たる、この岩の影が綺麗に反転する、などです。冬至にはインティライミという儀式もあります。クスコは、昔の4つの国の中心にあった聖なる地だ、との説明も受けました。あと、現地の人々は3つの世界を大事にしていて、それは神の世界と人間の世界と死者の世界です。動物だと、それぞれコンドル、ピューマ、ヘビが相当します。なぜこの動物の組み合わせなのかはわかりません。マチュピチュは「老いた山」という意味があります。その近くにはワイナピチュがあり、こちらは「若い山」という意味です。ワイナピチュにも遺跡が残っているそうです。またバスに乗って村に戻りました。駅前のお土産屋をぶらぶらしました。アルパカのぬいぐるみを買いたかったのですが、値段が書いてありません。それでお店の人に値段を聞いて、ふーん、という反応をすると、「いくらだったら買う?」と聞かれます。こんな感じで値切っていきました。何店か周りましたが、結局最初のお店で買うことにしました。お店を離れるたびに、「おねーさん、いいよ!」と私たちが提示した金額で売るという声が聞こえてきます。必死に売ろうとしているのが伝わってきました。夜ご飯はホテルのレストランで食べたのですが、3皿選んで、それが順番に出てくるという感じです。こういうスタイルは慣れてません…。ナイフでガシャーンとやってしまって恥ずかしかったです。

・5日目
ホテルで朝食を食べました。トースターが、つまみを回して時間をセットするやつではなく、ベルトコンベアみたいなのがゆっくり動いていて、奥まで行ったら落ちてくるやつでした。初めてみました。焼き色はそんなにつかないんですけど、表面はちゃんとカリッとしていました。マチュピチュ駅からオリャンタイタンボ駅に向かいました。行きの電車で伝統的な衣装を着て踊っていた人が車掌をやっていて、なんか面白かったです。マチュピチュを出てしばらくはジャングルの植物が見えました。山の中に段々畑が見えるのですが、それも遺跡なのだそうです。石が積まれた低い壁がいくつも見えたらそれが段々畑です。この電車は単線なので、すれ違うために線路が2本あるところで止まります。なので、電車はゆっくり走っていて、たまに何分も止まります。所々に家が立っていて、そこの子供に手を振ったら振り返してくれました。昼食のレストランでは、楽器を演奏している人がいました。私のクラスには民音に所属している人がたくさんいるので、ケーナという楽器名だけは覚えています。スペイン語の最後の授業の時には演奏もしてくれました。ガイドさんがジュースの選択肢を読み上げてくれたのですが、その中に「ファンタ」がありました。ファンタの何味があるのかと聞いてみたら、ペルーではファンタといえばオレンジだと言われました。私はファンタといえばグレープです。そのあと、モライ遺跡に行きました。標高3500mで、最初の方は聴覚が変な感じがしました。モライ遺跡は円形の段々畑が2つありました。とにかくこの辺りは景色が綺麗でした。どこを切り取っても絵になります。空の青、山の深緑、草の緑、黄緑、お花の黄色、土の茶色の組み合わせが良かったです。次はマラスの塩田に向かいました。向かう途中でたくさんの動物を見ました。牛、馬、羊、ブタ、犬などです。マラスの塩田に着きました。千枚田みたいな感じで小さい1区画がたくさん集まっています。塩水が張られていて、水が抜けてきたところは白くなっていました。全体が真っ白になるのは5月ごろがピークのようです。1区画からは2tもの塩が採れるそうです。想像もつかないですよね。お土産屋にはいろんな色の塩が売られていました。塩入りチョコの試食をさせてもらいましたが、しょっぱかったです。帰る時に、車1台しか通れない幅の道で、対向車が来てしまいました。お互い運転手が折れず、そのまましばらく向かい合っていました。結局私たちの乗る車の方が折れてバックし始めました。運転手さんは相手の車のナンバープレートをちゃんと写真に撮っていました。クスコに戻る途中でたくさんの犬を見ました。ピスコ空港周辺でも何度か見かけたのですが、その比じゃないほどたくさんの犬がいました。平均して20~30mに1匹はいたと思います。野良ではないのですが、首輪やリードは付いてなくて、道路の真ん中に寝そべってたりします。クスコの中心部に戻ってきました。アルマス広場という広場があって、そこにお店が集まっているのでその辺りをぶらぶらしました。アルマス広場はどの町や村にもある、中心の広場です。お土産屋を物色して、夜ご飯を食べました。ここのところお腹の調子が良くなくて、でも洋食を食べたくなってパスタを食べました。めちゃくちゃ量が多かったです。ちょうどOBのしんごさんも南米に来られていて、恐らくこの日は徒歩数分の距離にいたと思われます。お会いできなかったのが残念です。夜ご飯をたくさん食べたせいか、お腹の調子が悪化しました。日本で経験してきた「お腹が痛い」とはまた違った感じでした。

・6日目
朝食を食べるレストランに行く途中で、パンの生産が盛んな村を通りました。そこでガイドの方がパンを買ってくれたのですが、顔の倍くらいの大きさのパンでした。その場で一口食べたのですが、美味しかったです。それを朝食のレストランに持ち込んで食べました。この日の車の運転手は今までとは違う方で、急ブレーキ急発進が多く、かなり酔いました。酔い止めの薬、整腸剤、高山病対策の薬など、たくさんの薬を飲むハメになりました。信号は全然ないんですが、なぜ急ブレーキ急発進が生まれるのかというと、道路の所々に凹凸があって、そこを通る時に減速して通り過ぎたらスピードをあげるからです。この凹凸は恐らく車がスピードを出しすぎないように作られたものだと思います。それに、1車線ずつの道路の場合、対向車が来ていなければ反対車線に出て前の車を抜かします。この時は高速道路じゃないか、というくらいのスピードを出しています。そんなこんなで、目的地レインボーマウンテンに向かいました。標高4500mほどに来たらアルパカが出現し始めました。めっちゃ興奮しました。野生かと思いましたが、このアルパカたちは野生ではなく飼われているそうです。車で標高4700mまで登りました。ここから徒歩で2kmほど登山します。高山病対策に、と言って、ガイドの方がコカの飴とコカの葉っぱをくれました。葉っぱはそのまま口に入れて噛みます。美味しくはなかったです。それから、なんだったか忘れましたが、ミント系の匂いがする液体を手にかけて、つらくなったらこの匂いを嗅いでねと言われました。対策バッチリで登り始めたわけですが、今までと比にならない高さなので歩くのがつらかったです。飴をなめたり、アルパカを見て癒されたりして最初の方は頑張れたのですが、だんだん歩くスピードが落ちていって、1歩進むのに2、3秒かかりました。深呼吸してと言われるのですが、全然深く吸い込めてる気がしませんでした。肺が圧迫されている感じがしました。流石に標高5000mもあれば雪が所々に積もっていて、嬉しくなった私は足跡をつけようとスピードを上げて行ったのですが、雪を踏んだところで滑りました。この結果に凹みました。他にも観光客はいっぱいいたのですが、みんな割とスイスイ登っていくので自分に悲しくなっちゃって、途中から泣き始めちゃいました。情けない話です。馬に乗るという選択肢もあったのですが、ここは意地でも登りたかったので歩きました。しかし、リュックを父に持たせて登るのも、めっちゃゆっくり休憩しながら登るのも申し訳なくなってきて、「あの馬がいっぱい集まってるとこまで行ったら馬に乗る」と言いました。あとちょっとだと思って頑張ったのですが、その馬の溜まり場が馬で登れる最高地点だったらしく、頂上までは徒歩で登らないといけないと知ってショックでした。それでもなんだかんだ登りきれたので良かったです。標高5050mで私は登りきれたことに感動してまた泣きました。人間の体の限界を感じましたが、良い経験になりました。曇ってはいましたが、山はちゃんとレインボーに見えました。頂上にはお店が集まっていて、温かい飲み物などを売っていました。毎日ここに売りに来ているなんてとても信じられません。アンデスに住む人々の限界は標高6000mほどだそうです。想像もつきません。そこにはサングラスをかけて民族衣装を着たアルパカやリャマもいました。一緒に写真を撮って元気を取り戻しました。下りは、馬を使いました。すごい速さで下りていくので父もガイドさんも後ろにおいてきました。つま先部分をかけるところがあるのですが、そこから足がすごく外れそうで、足にはずっと力を入れてました。戦国武将はこれで戦ってたのかと思うと、すごいなと思いました。下りたところには池があって、ハートの形をしていました。この形は人工的に作られたものそうです。それから昼食を食べてホテルに戻りました。またアルマス広場に行って、お土産の物色をしました。マッサージのお店がとても多かった印象です。夜ご飯は、あまり食欲がなかったので三幸のサラダせんべいを食べました。

・7日目
昨日標高5000mに達したのでクスコの標高はもう大丈夫かなと思ったのですが、寝たらリセットされるみたいで、若干肺の圧迫感がありました。この日はクスコの遺跡巡りをしました。遺跡名は全てケチュア語だそうです。まず、タンボマチャイに行きました。タンボというのは宿のような休憩する場所のことを表して、マチャイは泉を表しています。次にプカプカラに行きました。プカは赤いという意味で、プカラは要塞という意味です。綺麗な石積みの壁が残っていました。昔はタンボマチャイと繋がっていたのではないかと言われています。車に戻る途中で別のツアー客たちと会いましたが、その団体のガイドさんが私たちのガイドさんの先輩だったらしく、感動の再開を目撃しました。そのあと牧場に行きました。アンデスの動物、リャマとアルパカとビクーニャとグアナコとコンドルを見ることができました。リャマもアルパカも2種類ずついて、それぞれカラとチャコ、ワカイヤとスリです。カラとチャコの違いはあまり分かりませんでしたが、リャマはアルパカよりも背が高くて、毛が短いです。ワカイヤとスリの違いは、毛の長さです。ワカイヤはアルパカといえばのモコモコの毛が生えてますが、スリは地面につくほどの長いストレートの毛が生えています。それぞれの種で飼育スペースが分かれているのですが、たまに柵を乗り越えて出てきたアルパカや、小さい時からグアナコの囲いで一緒に育って、体はアルパカでも心はグアナコという可愛いアルパカもいました。草をあげましたが、みんな食欲がすごかったです。グアナコはリャマと見た目が似ていました。それ以外の特徴はあまり思いつきません…。ビクーニャは性格が荒いらしく、檻の中に入っていました。毛でいえばビクーニャの毛は最高級で、ついでベビーアルパカの毛、といったところです。その牧場にはペルー犬もいました。毛がない犬です。あと、なぜか鹿もいました。よく人間になついていて、何回も近くに来てくれました。コンドルは大きかったです。1回飛んだのですが、うまく木に掴まれず落ちてしまいました。まだ子供のようです。織物をしている女性と女の子もいました。女の子は8歳で、修行中だそうです。織物には伝統的な模様があって、決められた通りにデザインするそうです。織り機を使っていましたが、とても複雑そうでした。アルパカの毛からできた毛糸を使っていたのですが、着色しない毛は黒や茶色しかないので、それ以外の色は植物を使って生み出されています。アルパカ製品が売られている店が隣にあって、ウェルカムドリンクとしてコカ茶をもらいました。そこでベビーアルパカ製品と大人のアルパカ製品の見分け方を教えてもらいました。教えてくれた人は現在日本語勉強中らしいです。日本語を使いながら説明してくれました。ベビーアルパカは、表面の触り心地が滑らかで、ひんやりしていて、少し油っぽい感じがします。着た時もチクチクしないそうです。毛が気温によって伸び縮みするので、夏でも冬でも気持ちよく着られるそうです。ここまで言われると買ってみたくなりますが、やっぱり高いです。昨日のアルマス広場でのお土産物色で、ベビーアルパカの毛糸を見つけて、それは20ソルでした。ソルというのはペルーのお金の単位で、1ソル40円くらいです。このお店にもあるかなーと探したらあったのですが、50ソルしました。ここで買うのは諦めました。動物たちにいっぱい癒されて、それからケンコーに行きました。ケンコーとは、迷路という意味です。石造りの超細い道を通りました。生贄としてリャマを捧げる台があったのですが、その台を置く空間を90°回転して見ると、なんとリャマの形に見えるんですね。偶然なのか故意なのか…不思議な空間でした。次にサクサイワマンに行きました。サクサイというのは満腹の、という意味で、ワマンはハヤブサという意味です。もともとはサクサウマと呼ばれていたのではないかと考えられています。サクサウマとはジグザグの頭という意味です。クスコの街をピューマに見立てたとき、この遺跡が頭の部分に当たり、遺跡自体は石の壁がジグザグに建てられているからです。小さい洞窟もあって、本当に真っ暗闇の中を進みました。昔は子供たちが肝試し的な感じで使っていたこともあるそうです。たまに天井が低くなるので要注意です。天然の石でできた滑り台があって、子供たちが遊んでいました。そこから開けた場所に出て、そこにはジグザグの石の壁がありました。自分の身長の2倍以上はある大きな石もありました。ここでもインティライミは行われていた(いる)そうです。何よりも目を引いたのはアルパカですね。ここにもいました。自由に歩き回っている姿が可愛かったです。それからクスコ中心部に戻って、今度は太陽の神殿に行きました。インカ時代の建物なのですが、スペインの植民地となってからは、入植者たちが壊してその上に教会を建ててしまいました。なので、とても西洋色が強いです。そのまま十二角の石を見に行きました。壁を構成している石で、1つなのに12個の角を持っています。また、その壁はピューマとヘビの形になるように石詰めされています。言われないと気付けないのですが。そこからアルマス広場に行きつつお土産を買いました。アルパカの毛糸を見つけたお店が見当たらなくて、一旦お昼休憩になりました。そのあと空港に行かなくてはならなかったので急いで食べました。それから、毛糸を売っていたお店があったと思われる場所に戻ってみたら、シャッターが降りてました。この日はお休みだったようです。本当に残念でした。リマで売ってることを願いつつ空港に向かいました。バレンタインデーだったので、赤いハートの風船を飾っているお店があったり、ハートの風船や花束を売り歩いている人を見かけました。空港のお土産屋も見てみたのですが毛糸は売ってなく、でももしあったとしてもすごく高い値段だと思うので諦めました。そこでガイドさんとはお別れして、ツアーが終わりました。少し寂しかったです。リマに戻りました。飛行機の中でポテトチップスが出たのですが、ジャガイモも塩も油も全部ペルー産のものだったのでペルーを味わってきました。タクシーでホテルに向かったのですが、運転手さんはラジオでお笑い番組みたいなのを聞いていて楽しそうに笑っていました。スペイン語でお笑いが理解できるほどには全然達していないので一緒には楽しめませんでした。この日もあまり食欲がなく、サラダせんべいを夜ご飯にしました。栄養バランス悪すぎますね。

・8日目
この日はリマの旧市街を周ることになっていましたが、私の腹痛のせいでホテル周辺の新市街を周ることになりました。ショッピングセンターがあるからそこに行こうとなったのですが、行ってみたら電気製品専門のショッピングセンターでした。期待外れで外に出たら、道の向かいにインディアンマーケットを見つけました。そこにはたくさんの店が集まっていて、歩いて回るのがとても楽しかったです。リマにはアルパカ製品はあまりないかなと思っていましたが、案外普通にあってよかったです。毛糸も発見して買いました。毛糸を見つけて買おうとしたお店の女の人は英語を喋れなくて、スペイン語で会話するしかなかったのですが、なんとか意思疎通できて嬉しかったです。スペイン語での数字の言い方を覚えていてよかったと痛感しました。さらにそのインディアンマーケットの向かいにはインカプラザがあり、お店がたくさん集まっていました。それから街を少し歩いて、昼食にしました。もうツアーではないのでやっと自分たちで好きなお店を選べました。そろそろ日本が恋しくなってきた頃で、bowl nikkeiというのを見つけたので、迷わずそのお店に入りました。玄米の上にツナやニンジン、レタス、キュウリ、アボカド、海苔などがのったものです。とても美味しかったです。リマの街中にも遺跡は残っていて、そこに行きました。レンガよりも小さいサイズの石がぎっしりと詰められてピラミッドみたいに積み上がっています。植物が植えられていて、綿花やキヌアを見ました。それからアルパカもいました。そのあと少し休憩してホテルに戻りました。とても暑く、アイスを食べたかったのですが、それでまたお腹が痛くなってはよくないと思って我慢しました。太平洋沿いにショッピングセンターみたいなのがあったので、そこに行くことにしました。行く途中でメトロというスーパーに寄りました。日本のスーパーと品揃えは似ていました。ペルーはカカオの産地でもあるみたいなので、チョコをたくさん売っていました。ショッピングセンターに着いて、夜ご飯のお店は日本食のお店にしようとしました。しかし、注文しようとしたら「ここからここは提供できない」と言われ、諦めました。近くに中華料理屋があったので、チャーハンを食べました。とても美味しかったのですが、明らかに2人分はある量でした。ご飯を食べ終わって外に出てもまだ5時半ごろだったこともあって、日が沈んでいませんでした。日の入りを見ようと待ち侘びている人がたくさんいました。それからホテルに戻って寝ました。

・9日目
今度こそ旧市街に行くことになりました。メトロポリターノというバスに乗りました。このバスは、専用レーンを走っているので渋滞に巻き込まれることはありません。結構混んでいました。駅名にはカナダとかメキシコとか国名のものもありました。バスを降りたら西洋的な建物が多く立っていました。サンマルティン広場という、銅像がたった広場があり、そこからアルマス広場に向かいました。そのアルマス広場は大統領官邸があるからか、封鎖されていました。入り口は1ヶ所だけです。教会を何個か見に行きましたが、どこも工事中で残念でした。街並みは本当にヨーロッパ風でした。大統領官邸周辺には銃を持って警備している人がいましたが、その人たちの大体は音楽流しながらスマホをいじっていました。中には写真撮影に応じている人もいました。広場に戻ってきて1つの教会に入りました。キリストの像など煌びやかでした。少し歩いて道の突き当たりまできたところで、赤と青の目立つ服を着て、羽根のついた帽子をかぶり、トランペットを持って整列して行進してくる人たちを見かけました。公的な場で演奏する人たちみたいな感じでした。暑すぎたのでマックに寄ってアイスを食べました。そのままお昼にハンバーガーを食べました。マフィン生地だったのですが、具が全然入っていなくて薄っぺらかったです。インカコーラを飲みました。黄色で、炭酸で、味はラムネに似ています。気に入りました。そのあと、またメトロポリターノで戻りました。またインディアンマーケットに寄りました、ソルが少し余っていたので何か買っていいよと言われ、アンデスの女の子のストラップを買うことにしました。1つ1つ手作りで、服の柄や帽子の色が違うのでじっくり選びました。袋の中にたくさん詰められていたので下の方に入っているやつが見にくいなーと思っていたら、店の人が地面にざーっと出してくれました。売り物なのにいいのかな、なんて思いました。満足いく買い物ができて、ホテルに戻りました。ホテルに戻る途中に大学があったのですが、入り口にゲートみたいなのがあってかっこよかったです。またスーパーのメトロに寄って、インカコーラを買いました。お迎えのタクシーが来るまで時間があったので、ホテルのロビーでインカコーラを飲んでチョコを食べて旅ノートを書いていました。タクシーに乗って空港に向かいました。アムステルダムに向かって飛びました。インカコーラを飲みすぎたせいか、チョコを食べすぎたせいか、気持ち悪くなってしまいました。本当に同じようなことを繰り返している自分が面倒臭いなとか思っちゃいました。

・10日目
大西洋上のどっかで日付が変わりました。リマからアムステルダムに行くということは南半球から北半球に行くということなので、南半球でしか見れないという南十字星はどこで見れなくなるのかなと疑問に思いました。南十字星を認識したことはないのでわかりませんが、赤道付近なら北半球でも見えるってことはないんですかね。あと、ペルーでは散々高山病注意って感じでしたけど、飛行機の方が断然高いところにいるわけで、飛行機内で高山病になったことはないので何かしらの工夫がされているのかなと思いました。こんなこと今まで考えたこともありませんでした。アムステルダムにつきました。もう午後になっていたので1日がちょっと短いです。泊まるホテルは、運河上の船でした。そう聞いたら素敵に聞こえるんですが、部屋に入ってみたら、ベッドとトイレとシャワーの必要最低限のものしかない狭い部屋でした。でもベッドの寝心地は最高でした。全然揺れないので船酔いの心配もなくてよかったです。また中央駅前の道を歩きました。すごい人だかりができているお店があって、なんだろうと思って見てみたら、ポテトの店でした。紙で作ったコーンにポテトがたくさん入っていて、そこにソースを選んでかけてもらいます。すごい人気だったので次の日に食べてみることにしました。それからお土産物色をして、夜ご飯を探し始めました。ステーキハウスというのがたくさんあったのでステーキにしてみました。今回の旅行では温かい飲み物やスープを全然飲んでいないということに気づいたので、スープも飲みました。アルゼンチンのステーキハウスだったので、ここまで来てもまだスペイン語圏だ、と思って面白かったです。ホテルの船に戻りました。トイレとシャワーの床が区切られてないので、シャワーを浴びたらトイレの方まで床がびしょ濡れになりました。水を集めるヘラみたいなのがおいてあって、掃除用だけでなくこのためにも使うのか、と理解しました。

・11日目
朝食は船の中で食べました。とても素敵な雰囲気の内装でした。朝食後、中央駅の方まで歩いて行って、ポテトの店に行きました。開店したてだったのでお客さんは誰もいませんでした。雨のせいもあると思います。私はソースは無難にケチャップを選びました。雨が降っていたので、屋根があるところで食べよう、となって、カジノの前をお借りしました。ポテトはとっても美味しかったです!それから空港に行きました。行きに見た時計のおじさんはまだいて、ちゃんと針を書き直していました。飛行機の中では酔いそうだと思ってずっと席の前の画面でゲームをしたり映画を見たりするのは我慢していましたが、全然眠くなくて暇だったのでついにゲームを始めました。ソリティアです。全然成功しなくて、お客さんが飽きないようにわざと成功できないようになっているのかな、なんて思いましたが、50回くらいやってやっと成功しました。自分がトランプでやるよりもルールが厳しくてーという話をしたら、「トランプでやるの?」と聞かれました。私は暇な時はたまにトランプでソリティアやっています。珍しいですかね??あとは飛行機ではひたすら夜景を眺めていました。北斗七星とカシオペア座が見えました。

・12日目
ユーラシア大陸上のどっかで日付が変わりました。まだ眠くならないのでずっと起きてることにしました。ちなみに帰りは北極海は通らず、最初に私がイメージしていた通りのユーラシア大陸経路でした。日本上空に入った時は本当に嬉しかったです。入国したらまずコンビニのおにぎりを買いました。幸せな気分になりました。行きに空港でみたお茶漬けのお店が本当に美味しそうだったので、日本に帰ったらお茶漬けを食べようと決めていました。新宿まで着いて父がお店まで案内してくれたのですが、そこはお粥と麺のお店でした。だから私は「えっ?」ってなりました。
「あれ、お粥食べたいって言ってなかったっけ?」
「私お粥好きじゃないんだけど」
「え?あ、お茶漬けか!」
ここでようやく分かり合えました。無事にお茶漬けも食べれて大満足です。
家に着いても眠れなかったので合宿の準備を始めました。

おしまい。

こんな日記みたいなものにつき合わせてしまってすみません…。自分でも読み返したくないくらいの長さになってしまいました。19000字くらいですね。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。本当に読み返していないので文章がおかしいところもあるかもしれません。

それでは、来週の試技会頑張りましょう!

推し事続編

こんにちは。一年の加藤です。
実はこれを書くのは2回目です。なぜかデータが吹っ飛んでて萎えてます。何書いていたかうろ覚えだけど、書ける限りを書いていきますね。

最初は多分、合宿の感想的なこと言っていた気がするのですが、ロン宙回せて嬉しかったよ以外何書いていたか思い出せません。
あとオフ期間の体操ですが、僕は他の企画に参加していた関係で忙しく何もできてないまま、明日が最後です。明日も用事あるので結局行けませんね。悲しいですが、その代わり企画の方はそれなりに頑張ってきました。

東京大学とソフトバンクが提携しているのは割と知っている方も多いと思いますが、その一環の企画でした。AIを使った未来のあり方を考えよう、的なありふれた企画名感ありますが、やっていたことは本格的で、AIを用いたアプリの考案、それらのビジネス面への応用といったことに取り組んでいました。実際に動作するアプリを作成するなど、大変な項目も多くかなり苦戦した一ヶ月でした。(合宿中に持ち歩いていた謎の分厚い本の正体はこれのための勉強でした、)

結局この企画で決勝戦まで進出はできましたが、僕がテンパリすぎて盛大にミスってしまい、悲しい結果となりました。今後の人生に、この失敗を糧としていきたいと思います。

さて、タイトルに沿った本題へ入る前にもう一つ雑談を挟みます。
最近デスクトップパソコンを買いました。30万くらいするそこそこの性能のやつです。Macだけでは不自由を感じていたので、これから活動の幅が広がりそうでワクワクしています。

それと同時にiPhoneも買い替えようと思っています。
最近体操場でiPadで撮影している人やたら多く感じませんか?(愚痴ではないです)
見やすい代わりに、あれそこそこ設置が難しいんですよね。大きくて角度調整が難しい。
で、なんで不便を感じながらもiPadを使っているかというと、単純にiPhoneのストレージが足りないんですよね。127.7GB(128GB中)なので限界すぎて、最近勝手に落ちたりします。あとバッテリーも足りない。100%まで充電しても昼には限界で、帰宅時1%とか結構あります。

そこで買い替えよう!となったわけですが、最近のiPhoneくそ高くないですか?Proに至っては今この記事を書くのに使っているMac book Airとほぼ同じ値段。出費が止まらなくて泣きそうです。

そう、出費が激しい。パソコン、スマホ、それと同等…いや、それ以上の出費が、推し活に使ったお金です。

さて、ここからは意外と見られていた前回の記事の続きとなります。興味ない方、下にスクロールして、締めだけ読んでご退場ください。実はこっそり気になってたよって方、お待たせしました。前回僕は、推し活イベントに参加するとだけ伝えたかと思います。
5年の思いが詰まった、初リアルイベントの参加。それがどんなものになったのか。
結論から言えば、今でも余韻的なものに浸れるほどにいい経験でした。あれこそが僕が頑張る理由、そう思えるものでしたね。

全4部、2日構成のこのイベント、当然の如く一番高いチケットで全部参加しました。5年も我慢したんです。ケチっては行けません。7万円。
さらに、このチケットは、イベント終わりにP丸様。に見送ってもらえるプレミアがついていました。つまり、向こうから僕の姿が見えるということ。大学に遅刻ギリギリで向かう時と同じ格好で会うようであってはなりません。このために服を2日分買いました。6万円。
そしてこのイベントで、僕は初めてプレゼントを渡すことができました。ずっと渡したかったけれども、お金もなければそもそも渡す機会がなかった。初めてのプレゼントは張り切りたい。同担の友達に教えてもらいながら、Diorのコスメを購入しました。3万円。
https://youtu.be/Xbc4qtGOgyw?si=CljlLm3gKbyAPQoC
この動画の2:54〜紹介されているので、気になった方はぜひみて見てください。
イベントといえばグッズ販売。たくさんのグッズが売られており、一番人気はやはりペンライト。5年も我慢して東大に頑張って受かった僕ならば、多少欲張りでも許されるはず。ってことでペンライトは4本買いました。持参した2本と合わせて6本。むっちゃ楽しかった。他のグッズもたくさん買いました。4万円。

細かい費用を加えるとまだ膨れ上がりそうですが、触れないでおきましょう。5年越しの願いが叶うから…という魔法の言葉が強すぎましたね。

お金の話ばかりになるのはなんか嫌なので、思い出そのものの話をします。

今回のイベントで、僕はたくさんの同担と会うことができました。初めて推しのライブビューイングを見た時は、感動を一人で噛み締めて悶々とするしかなかった。そんな少年が5年後に、たくさんの同担と感動を共有できている。それだけでも本当に幸せでした。

叶った夢はそれだけではありません。
僕は推しに、東大生として強烈な認知をいただいています。推しが見送ってくれる時間は本当に短いので、どうにかしてその短い時間で、反応が欲しい。考えた結果、「東京大学」と書かれたタオルを掲げて質問することにしました。
第一部の終わり、待ちにまったその瞬間がきました。僕がされたらめっちゃ嫌な質問をついに投げます。
僕「誰かわかる!?」
P丸様。「あ、えっ?!〇〇(僕のTwitterのアカウント名)?!」
ほんの一瞬の出来事でしたが、この瞬間に、僕が5年間抱えてきた苦しみが全て吹き飛びました。東大に合格したい、だから推しのイベントを我慢する。大丈夫、きっと報われる。それが正しいかもわからず、推しのイベントに参加できない苦しみを希望で誤魔化すしかなかった頃の思いが、全て成仏していくのを感じました。

他には、フラスタを同担のみんなで立てました。フラスタがわからない方、ググってください。めんどい方向けにざっくり言うと、よくお店が開店するときに並べられてる花束的なやつです。
僕がしたことといえばお金を出したくらいで、手配やデザインは他の同担にほぼ頼りっきりにはなってしまいましたが、それでも本当に立てて良かったなと思います。本人も、立ててもらう経験は初めてだったらしく、とても喜んでくれました。
https://youtu.be/DaWASkz5z1U?si=GeKEoCcuMcxP_lCk
この動画の1:18〜詳しく話されているので、暇な人はぜひ見てみてください。(ちなみにここで読み上げられてるDMは僕のです)

全ての公演が終わった後、僕は号泣してしまいました。イベントが終わってしまう辛さと、長年の夢がほぼ全て叶えることができた嬉しさと感激に、堪えようと思っても涙が止まらなかったです。

推し始めの頃には、周りの人ほぼ全てに「どうせ飽きる」と言われていました。でも、結果として僕の人生の4分の1は彼女を推している期間となって、彼女なしでは今僕がこのブログを書いていることもなかったでしょう。

きっとこれを読んでいる人の中にも、何かに打ち込もうとして反対されたことがある人はいると思います。それは客観的意見として取り入れるべきものもあるかもしれませんが、時には自分の意思を貫いてみるのも、悪いものではないかもしれませんね。

締めが割としっかりできたところで今回は終わります。本当はもっと話したいことがあるのですが、すでにデータ吹き飛ぶ前の1.5倍書いているので。

では、また次の機会に!
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